藤原道長は記録の上では日本最古の2型糖尿病患者
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば(この世は自分のためにあるようなものだ、満月のように何も足りないものはない)」という和歌を詠むほど権力を握っていた平安貴族の藤原道長。
しかし彼は、記録に残る日本最古の糖尿病患者だったとされています。それも身内に同様の症状の患者が何人かいたことから1型ではなく2型糖尿病だったと思われます。
当時、貴族たちの間で人気があったのが、大陸から伝わった蘇(そ)というチーズのような食べ物です。牛乳を根気よく煮詰めて作るため、手間がかかる貴重品でした。
藤原道長はこの「蘇」に甘い蜜をかけて食べていたそうです。当時の記録によると、平安貴族は白米、日本酒、中国風の揚げ菓子や芋がゆ、そしてフルーツなどを食べていたようです。
しかも仏教や陰陽道の影響で獣肉食が避けられる傾向にあったので、かなり糖質に偏った食生活になっていたと推測されます。ただし魚や鶏肉は食べていたようです。
糖尿病に関して「赤身の肉が良くない」「高糖質な食事が良い」などという説もあるようです。
しかし少なくとも藤原道長たちは高糖質で獣肉を避けた食生活で2型糖尿病になってしまいました。
おそらく「運動不足」も大きな原因の一つだったに違いありません。労働する庶民と違い、貴族たちは激しい運動を行うこともほとんどなかったでしょう。せいぜい、蹴鞠(けまり)ぐらいかしら?
昔の日本にも糖尿病患者が居たんだね!
そうよ、決してごく最近の病気というわけじゃないのよ。
藤原道長の目には「望月」がはっきりと見えなかった!?
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」と詠んだ藤原道長ですが、やたらとのどが渇き、「目が暗い。お祓いをしたが明るくならない」「二、三尺(60~90cm)ほど離れた人の顔も見えない」など視力が低下したことが記録に残っています。
これだけ近くにいる人の顔が見えないというのは、相当視力が低下していたものと思われます…おそらく彼には夜空に浮かぶ満月もほとんど見えなかったのではないでしょうか。
糖尿病の合併症で視力が低下したということでまず考えられるのは糖尿病網膜症、それから糖尿病性白内障や糖尿病患者がかかりやすい緑内障などもあり得ますね。
道長の伯父:伊尹(これただ)、兄:道隆(みちたか)、甥:伊周(これちか)も糖尿病らしき症状があったそうです。やはり2型糖尿病は遺伝とのかかわりが大きいですね。当時、糖尿病は「飲水病」と呼ばれて恐れられていました。
「昔の日本には糖尿病患者はほとんどいなかった」などと言われますが、織田信長も糖尿病だったと言われていますし、江戸時代中期にはすでに糖尿病合併症に関してかなり正確に書かれた書物が存在しました。
明治時代になると糖尿病は「蜜尿病」と呼ばれ、あの夏目漱石も今でいう糖質制限食に近い「厳重食」で治療していましたが、もともとスイーツ大好きだったので挫折してしまったようですね。
糖尿病治療はどこへ行くのだろうか…
糖尿病の最も古い記録は紀元前15世紀のエジプトにまでさかのぼります。糖尿病は決して「ごく最近発生した病気」ではなく昔からあった病気なのです。
藤原道長や織田信長の時代にはまだ糖尿病の原因は分からず、糖尿病合併症がどんどん進行して苦しむしかありませんでした。
明治時代以降は「厳重食」という糖質制限食に近い食事が糖尿病の食事療法として行われるようになり、女子栄養大学の本にも詳しく解説がされていました。
ところがインスリン注射の登場により1型糖尿病の患者さんたちが生き延びられるようになったのは非常に素晴らしいことですが、2型糖尿病患者も「インスリンを注射して普通に糖質を食べましょう」という方向へ…
糖尿病という病気はそんなに単純なものではなく「血糖値が高ければインスリンを打てばいいじゃない」というわけにもいかないようです。
糖尿病合併症を止めるにはそれだけでは足りないこともあります。 糖尿病で目を患った道長は、どのような思いで夜空の月を見上げたのでしょうか。
糖尿病合併症に苦しむ患者は、令和の時代になってもまだまだいなくなりそうにありません。
糖尿病合併症は怖いから自分で良く勉強して対処しなければニャー。
病院に通っていればOKじゃないからね!